昔と比べて、今の人たちは普段から曖昧に言葉を使います。
それはスマートフォンなどで短い言葉や絵文字を使って
気持ちを伝えることが主流になっています。
(相手に気持ちが伝わっているかはさておきですが)
すると長い文章で丁寧に説明するのは当然苦手になり、面倒になります。
そして伝えること自体が「めんどくさい」と感じるようになるのです。
日本語は英語に比べると、情緒的な感情を表す語彙が豊富です。
そういう意味では繊細な言葉を選べるはずなのに、
面倒くさがっているうちに言葉の使い方が下手になってしまったのかもしれません。
なので「ストレス」という言葉もそんな面倒くさがりな人たちにマッチしたのでしょう。
現代は「言わなくてもわかって」となり、AI化に拍車がかかり、
面倒なことはやってくれます。
これでは言葉も体も思考もどんどん退化してしまうのが心配です。
私は、幸せかどうか自分の状況や気持ちをきちんと言語化できるかが大事だと思います。
自己分析できなければ、ストレスを具体的な苦しみとして列挙することもできません。
どの苦しみを、どうやって消去していけばいいのか、
わからないままでは、いつまでも楽になれない。
幸せではないからです。
もしあなたが疾病で来院して、医者に対して
「なんかダメなんです」と曖昧に訴えたとしても、
お医者さんがどんな薬を出せるというのでしょうか。
お医者さんがたずねても「わかんない、なんとなく不調」
では治療の手立てがありません。
自分でどこが痛いのか、どんな不調があるのか、
しっかりと分析して、分かるような言語化をしなければ
いつまでも苦しみは取り除けないのです。
お医者さんはとりあえず検査します。
検査した結果、無理矢理に悪い所を探すか、
検査しても異常がないと、また不安になるでしょう。
メンタル面も不調を作ります。
言語化というのは何事にも大切です。



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